障がい児教育を守る

東京都教育委員会の障がい児教育の攻撃の一貫としての元都立七生養護学校校長に対する降格・懲戒処分を取り消した判決

東京地裁2008年2月25日判決(裁判所ウェブ掲載)
東京高裁2009年4月9日判決(判例集未掲載)
最高裁2010年2月3日決定(判例集未掲載)

何が起きたのか

 都立七生養護学校(知的障がい)生徒の半数は、併設された七生福祉園で寮生活を送る。この福祉園で起きた深刻な性的事件を契機に、七生養護学校では、1996年頃から「こころと体の学習」として性教育の模索が始まった。これは、校長会においても創意工夫をこらした先進的な取り組みとして高く評価されていた実践だった。

 ところが、土屋敬之都議(民主・当時)は、2003年7月2日の都議会一般質問で、「こころと体の学習」を「世間の常識とかけ離れた性教育」であるとして、都教委に「き然とした対処」を求め、石原都知事は、「どれ(教材)をとってもあきれ果てる」、「異常な信念を持って、異常な指示をする先生というのは、どこかで大きな勘違いをしているんじゃないか」と答弁した。

 2日後の7月4日には、土屋都議や産経新聞記者らが、「こころとからだの学習」が行われていた七生養護学校を視察し、教材を「押収」し、翌5日のサンケイ新聞には、「過激性教育都議ら視察」「あまりに非常識」などと大きく報道した。

 東京都教育庁は、10日後の7月14日には、「都立盲・ろう・養護学校経営調査委員会」を設置し、同委員会は、8月28日に報告書を発表し、「不適切な性教育がなされていた」と断定した。

 東京都教育委員会は、9月11日には、「都立七生養護学校の不適切な性教育の問題を契機として実施した調査において、都立盲・ろう・養護学校全体の概ね半数に当たる28校で、教育内容、学級編制などについて不適切な実態があることが明らかになり」、「本日、今回の事態について組織としての責任を明確にするため、教育長をはじめとし、関係した学校及び東京都教育庁の職員の処分を決定した」として合計102名の教員と14名の教育庁関係者を処分した。

 七生養護学校元校長である金崎さんもこの被処分者の1人であり、停職1か月の懲戒処分及び校長から降任する旨の分限処分を受けた。但し、金崎さんへの処分通知書の処分理由は、マスコミへの広報の見出しであった「性教育」ではなく、「学級編制における虚偽申請」であった。「性教育」は処分理由ではなかった。東京都教育委員会が言う学級編制における虚偽申請」とは、七生養護学校では、東京都教育委員会とも相談の上、子どもの障がいの状況に応じて柔軟な教育を行っていたことを歪曲して、「不正」としたものであった。

同時に行われた民主的な教育への攻撃

 この七生養護学校での性教育攻撃とほぼ同時期に教育に対する攻撃が相次いでなされた。
 東京都教育委員会は、2003年10月23日付けで、卒業式、入学式等の学校行事における国歌斉唱時に教職員に対して、指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をすること等を命ずる通達(いわゆる10.23通達)を出し、これに従わない教職員に対する処分を繰り返し、処分者数は2009年5月時点で423名にのぼる。

 鹿児島県では、2003年7月8日に「県内の幼稚園と小中高校でジェンダ-フリ-教育をしないよう求める」陳情を自民党などの賛成多数で採択した。和歌山県議会では、2003年9月29日に自民党・公明党の議員が本会議に「教育基本法改正を求める意見書」を提案し、民主党も賛成して成立した。千葉県議会では、2003年10月15日自民党提出の「教育基本法の早期改正を求める意見書」が本会議で賛成多数で成立した。

 2003年9月22日の発足した小泉改造内閣の河村建夫文部科学大臣は教育基本法改悪をめざす自民党特命委員会の事務局長や文部科学副大臣として改悪推進の中心を担ってきた人物であり、就任後には「次期国会に提出期待」「法律を作らなければ不作為になる」と明言していた。

 2001年には、神話と歴史的事実を混同し、天皇制と戦争を美化する「つくる会」教科書の採択を求める動きとこれに対するたたかいがあり、さらに執拗な採択の動きが続いていた。

攻撃の根は一つ

 教育基本法の「改正」を求め、日の丸・君が代を強制し、つくる会の教科書採択を狙い、ジェンダ-フリ-教育を攻撃し、性教育を攻撃する一連の動きは、同じ根から生じている。足立定夫弁護士(新潟)は、自由法曹団通信第1108号(2003年10月21日)で次のとおり指摘した。
「帰宅した娘が、『反対だと思って署名したけど、改正を求める署名だったので取り消してもらった』、『ほら、へんなチラシが配られていたのヨ』と見せてくれた。
 チラシには『ひどい!小学生に授業でコンド-ム装着の練習をさせているんですって』とか『過激教師たちは教育基本法を楯にいうことを聞かない』などのマンガで、教育基本法改正を訴えている。」

 何を狙っているのか?狙いは、、軍隊を持ち、軍隊を国外に派遣し、戦争をできる国とするための教育内容の統制であり、かつ、一部エリ-ト教育に集中的に予算配分し、それ以外の者への教育を切り下げ・切り捨てる攻撃である。

障がい児教育は不要-戦争中の日本

 世田谷区梅丘にある光明養護学校は、太平洋戦争中、長野県上山田に疎開した。疎開先の教育関係者が光明養護学校を見学し、校長に向かって「こんな子どもたちを教育して何になるんだ、こんな無駄なことをしているあなたは非国民だ」と述べたと語られている(「もう一つの太平洋戦争」疎開をした児童の1人秋山さんの手記)。
 さらに、疎開先に着いた際には、軍から教員に白い薬が渡された。この薬は青酸カリ。戦場になったときは、これを使って障がい児を「処分」するようにと言われた。これが、戦争中の障がい児の扱いであった。

 石原都知事は、1999年9月府中療育センタ-を視察し、「ああいう人って人格あるのかね」、「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれど、ああいう障がいで、ああいう状況になって・・・。しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」と述べたと報じられている。

障がい児の教育を受ける権利の実現-全員就学の運動と成果

 かつて、重度の障がい児たちは、「就学猶予・免除」として教育を受ける権利を奪われていた。「教育を受ける権利」が、「猶予」され「免除」されるというまさに無法地帯に置かれていた。

「かおるちゃんは 真っ赤なランドセルを買ってもらった。
  学校へ行くとはりきっていたけれど やっぱり3年猶予して
    そのまま行けなかった。
 いまはもういないけど
 ママは真っ赤な
   かおるちゃんのランドセルを机において
     かわいい笑顔を思い出してる。
 また入学式が近づいた。
   今年は頭からふとんをかぶって泣くママが何人いるのかな」


 これは、子どもを就学させられなかった母親の詩である(学校に行きたい-6歳の春の涙「子どもの幸せ」1971年12月号)。

 障がい児の全員就学というの父母の願いは、教職員や国民との広い共同のたたかいで、東京を先頭に1972年から実現し、1979年には全国で実現した。
「学校に行けるようになった朝
     私はこの子が家で荒れて壊したふすまに
       憲法26条と教育基本法を拡大した紙を貼り付けました
          それを読んで、私は涙が止まりませんでした。」

 これは、京都のある母親が、学校に行けるようになった朝の歓びを綴ったものである。

障がい児教育の切り捨て、切り下げの攻撃とこれに対する反撃

 戦争をできる国にし、一部エリ-ト教育を重視する視点からは、障がい児教育は不要であり、切り捨て、切り下げの対象でしかない。
 障がい児教育を切り捨て、切り下げるためには、全員就学を実現をさせてきた父母と教職員を中心とした堅い絆がじゃまになる。そこで、障がい児の権利を守ろうとする父母と教職員との共闘にくさびを打ち、子どもたちの教育を受ける権利を実現する共同のたたかいを困難にさせなければならない。
 これが、性教育攻撃であり、七生養護学校事件の狙いである。

 東京弁護士会は、2005年1月24日、東京都教育委員会と都議らに警告を発したが、東京都教育委員会も都議も態度を改めなかった。
 金崎さんは、東京都人事委員会の審査請求を経て、2006年5月、東京地裁に処分取消を求める訴訟を提起した。
 東京地方裁判所(渡邉弘裁判長)は、2008年2月25日、金崎さんへの懲戒及び分限の各処分を取り消す旨の判決を言い渡し、東京高等裁判所(大谷禎男裁判長)は、2009年4月9日東京都の控訴を棄却し、最高裁判所は、2010年2月3日上告不受理決定をし、東京都の処分の無効が確定をした。金崎さんの代理人は、弁護士牛久保秀樹、同佐久間大輔、そして私が担当した。
 また、七生養護学校の教員と父母は、東京都や都議らを被告として「こころとからだの学習」裁判を提訴した。
 東京地方裁判所は、2009年3月16日、七生養護学校保健室での土屋敬之・古賀俊昭・田代博嗣の3都議の行為が教育基本法第10条第1項の「不当な支配」に当たり、東京都教育委員会はこれらの都議による「不当な支配」から教員を守るべき保護義務を怠っていたこと、また、教員に対して行った都教委による「厳重注意」は裁量権を逸脱した違法行為で慰謝料を認める判決を言い渡した。

 この判決確定は、情緒障がい児学級の実態を直視し、学級編制にかかる違法行為が存在しないとして処分を無効としたものであり、東京都教育委員会の乱暴な教育行政を断罪したものである。

 判決後も、東京都教育委員会に対して、金崎元校長に謝罪し、名誉回復措置行うことを求めると同時に、これまでの強権的な教育行政をあらためさせ、学校に自由と民主主義を確立し、ゆたかな障がい児教育を実現するたたかいは続く。日の丸・君が代強制問題を始めまだ多くの課題での取り組みが継続している。

金崎事件弁護団・支援する会の勝利声明
金崎満さんの勝利声明
金崎満さんの「七生養護学校事件」