公正な納税者の権利を守る

相続税評価における小規模宅地に関するいわゆる五棟十室基準の違法性を巡る課税処分取消請求訴訟

東京地方裁判所1995年6月30日判決(行政事件裁判例集46巻6・7号659頁,訟務月報42巻3号645頁,税務訴訟資料(1~240号)209号1304頁)

 1993年2月、「『相続税払えない』夫婦は死を選んだ」とのショッキングな報道があった(朝日新聞1993年2月15日)。新聞が語る事実はこうだ。

 小さな町工場を細々と経営していた東京・田園調布の初老の夫婦が服毒自殺したのは1992年5月末。土地の名義人で、同居していた父親が1991年3月に病死した。地価高騰で跳ね上がった自宅(320平方メートル)と工場のある借地の借地権の土地の評価額が3億2000万円。1億9000万円の相続税の支払を求められた。
 2人は、自宅をすべて売却し、納税後の残りで別に自宅を購入する道を選んだ。借地権は、別に借家人がいて処分が困難。自宅の土地は形状から切り売りは難しく、税金の物納も無理。田園調布に住み続けることは最初からあきらめていた。ところが、納税期限の1991年9月を過ぎても買い手がない。売り値をどんどん下げ1992年4月末には路線価を2割以上も下回る約2億4千万円にした。妻のやつれようはひどかった。体調も崩し精神状態が不安定になった。

 国税局から差し押さえを予告する納税催告書が送られたのは5月25日。税額は延滞税も加え2億0300万円に増えていた。2人が服毒死したのは、その1週間後。処分方法を話し合うため子どもたちが集まることになっていた日だった。

 土地は1992年7月末、約2億2千万円でようやく売れた。納税を済ますと、遺族の手元にはわずかしか残らなかった。田園調布では、この4年間に地域住民の約1割にあたる142世帯が、自宅を手放し街を去った。大半が相続税の支払いに窮してだ。田園調布といえば、著名人の家が並び高級住宅地のイメージも強いが、追い立てられているのは、地価高騰の恩恵とは縁の薄い古くからの住民が多い。
 相続税-普通の暮らしをしていれば、およそ縁がない税金だと思われてきが、最近は ちょっと違う。バブル経済は、地道に暮らして来た人々の生活の基盤であるわずかな土地も異常な地価高騰に巻き込んだ。

 法律では、相続税は「財産の価額」に応じて支払うことになっている。国は、相続税上の「財産の価額」を投機的な土地取引によって左右される「市場価額」だという。
だから、バブル経済による土地の異常高騰で、相続財産の価額が勝手に2倍、3倍と増えたことになり、税額は何十倍にも増額する。一生働いても支払えないような相続税の支払を求められるのである。「天災」ならぬ悪政による「政災」である。

 問題は、国がとっている相続財産中の土地の評価の方法にある。地上げ屋がその土地にどのような高値をつけようと、そこで暮らし続ける限り、生活をしている者にとっては何の利益も生まない。生活の基盤たる住まいや店に使用している猫の額ほどの土地は、これを手放さない限り投機的な不動産取引の価額とは別個に評価されるべきものである。

 さすがに、国もこれではまずいということに気がつき、租税特別措置法で、小規模な不動産賃貸業については、相続税評価を軽減(1994年改正では80%減)する措置を講じた。ところが、小規模な不動産賃貸「事業」と評価するためには、貸家の場合には5棟以上、貸室の場合には10室以上の規模でないとこの特例措置を受けられないとした。

 1993年5月。麹町に165平方メートルの土地を相続した主婦が、3億2000万円の相続税の支払を求める税務署を相手に課税処分取消訴訟を提訴した。この事案では、土地の面積は165㎡で、1棟の建物しかない、1~3階を貸しているが、フロア貸しなので10室には遠くとどかない。だから小規模な不動産賃貸業として保護されないというのだ。

 このように、小規模な不動産賃貸業を保護する制度が小規模であればあるほど保護されないというおかしな制度となってしまった。
 種類の違う税である事業税における「事業」概念を機械的に相続税に移入したために、生じた事件である。
 この事件は、鶴見祐策弁護士、羽倉佐知子弁護士と私の3人で担当した。岩本龍雄税理士にも加わってもらった。
 裁判所は、立法経過の誤りを正しく判断して、課税処分を取り消した事案である。