東京地方裁判所は、1992年9月24日、足立区立関原小学校教諭がクラブ活動中の捻挫から罹患した「RSD」(反射性交感神経性ジストロフィー)を公務と関連性がないと認定した地方公務員災害補償基金東京都支部長の処分を取り消すとの判決を下した(労働判例616号)。
本件においては、地公災基金は、被災者の疾病が「RSD」であることが判明しても、なお、被災者の疾病を公務外と主張し続けました。
最初は「レントゲン写真上、請求人には、変形性膝関節症等種々の加齢的変化が認められることからも、たまたま上記の反復動作を機会原因として発症したものと考えられる」といい、次に、「変形性膝関節症(加齢による)に伏在神経の絞扼神経炎を合併」したものだと主張を変更し、3度目には、被災者の症状は「RSD」であるがその中の「カウザルギー」(神経の断裂による「RSD」)であり、本件捻挫では神経の断裂は生じない、よって公務外であると主張を変更し、4度目には、いずれの主張も受け入れられそうもないと判断して、RSDの発症原因は「素因」であるとの主張を展開しました。
しかし、理由が二転三転しても結論だけは維持するという地公災基金本部の姿勢には、「補償の迅速かつ公正な実施」という法の理念や事実と道理に基づく行政よりも、自らの「面子」が優先しているものです。
上記の判断の基礎となった、専門医の判断の杜撰さがあります。
基金が提出した「山崎医師鑑定意見書」のポイントは、「軽微な外傷に起因するRSDは存在しない」という医学的知見に基づいていました。その理由は、①このような見解に立つ学会報告とか学説があるということではない、②自験例を有しないことにつきる、と証言しました。
東京地裁は、医学証人として山崎医師の尋問を実施したのみで判決を下しました。
判決は原告の「RSD」の発症と捻挫との関係につき、「原告が『RSD』に特徴的な灼熱痛を本件まりつきの直後から一貫して訴えており、1985年6月7日の堀内医師の診察時に同医師が原告の足を引っ張ると痛みを増したほか、その後もリハビリのために足の筋力を増すための運動をした後必ず痛みを増していること、1986年2月33日には、右膝の腫れ及び変色が見られていること、1988年8月10日の山本医師の診断時においては蝕診不能の状態であり、レントゲン所見で斑点状陰影がみられていることなどの経過からすると、原告は、本件動作の直後から『RSD』に罹患したものと認めるのが相当であり、その他に医原性の損傷があったなどの他原因を推認させる事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると、単純な捻挫、打撲等から『RSD』に罹患した事例は多数報告されていること、『RSD』の一つであるカウザルギ―の発症原因としては末梢神経の部分断裂が指摘されているが、同じく『RSD』の一つであるマイナ―・トラウマティック・ディストロフィ―は、捻挫程度の軽い外傷により生じることが医学上一般的に肯認されていて、その発症のためには末梢神経の部分断裂は必要とはされていないこと、膝部位の『RSD』の発症が捻挫、打撲等の軽い外傷により発症することが医学上認められていることからして、原告の場合、まりつきの着地の失敗による捻挫が右膝の『RSD』を発症させたというべきであり、原告の右膝部分における捻挫と『RSD』との間には相当因果関係が認められる。なお、(証拠略)及び証人山崎典郎の供述によると、『RSD』は、末梢神経の部分断裂によって生じるものであって、まりつきによる衝撃によっては右膝の末梢神経の部分断裂が生じるとは到底考えられないから、まりつきと原告の『RSD』との間には因果関係が認められないというのであるが、山崎典郎の証言によると、同人の意見及び(証拠略)は、原告が前記認定のようにまりつきの着地に失敗したことを前提にしていないこと、証人山崎典郎は、捻挫によって『RSD』が生じた例を経験したことがなく、その知見がないことが認められるのであり、同人の見解を本件で採用することはできない。」と判示しました
「専門医」については、当該分野における真の意味での「専門医」から意見を聴取すべきであり、「医学的意見」の責任の所在を明らかにするためにも意見を述べる医師の氏名・経歴については当然公開すべきです。「専門医」の意見として提出される意見書の中には、医師ならば間違えるはずのない誤字や基本的な医学的な知見について十分理解しているのかと疑問をいだかせるような意見書は、本件だけではありません。制度及び運用の早急な改善が求められます。